こんにちは小原です。
映画祭に限らず、何か文化的なイベントを開催するというのはとても労力がいる事です。
また、映画祭は単発のイベントとは違い、続けていく事に意味がありますし、沢山の人が沢山の時間と労力を使って何年も続けて開催していて、これからも続けていこうとしているわけなので、そこに少しでも敬意を払うために、最低限服装だけは整えていこう。というただの意識の問題です。
そもそもですが、自分の作品を観に来てくれる方に対して、汚いジーパンとTシャツに安そうなジャケットを羽織ってたり、無駄にカジュアルとかで登壇して舞台挨拶をするというのは単純に無礼だと思います。
わざわざ、みすぼらしい服装で来る人って、
ドレスコードがしっかりした映画祭に、誰しもが認める才能の持ち主が、ちょっとラフな格好で参加したり、変わった格好で参加して我が道を行っちゃってるアーティスト感、といったのに憧れてるのでしょうか?もしくは、社会の権力に屈しない、反体制的、ちょっと芸術的アウトローな自分をみせたいとか?笑 かっこいいぞw
「映画祭という所にも雑な感じで行っちゃう俺ってかっこいい!」
こうゆう勘違い逆張りの人達だらけで逆に個性出てないよw
「スーツは息苦しいんだよね」
とか言っちゃう人w
社会に縛られてない自由人アピール??
なれてないだけでしょ。
社会経験不足気味じゃない?
他に「なんも考えてなかった」と言っちゃう人達もいます。
単純に映画を作るだけの想像力も足りなそうです。
で、そうゆう人もカンヌとかいったらきちんとタキシード着てそうだしww
「そりゃ、カンヌでは着るでしょ!」
って言うかもしれない。
「じゃあ君、他の映画祭はナメてんの?」
映画祭に参加している監督達は口々に「多くの人に見てもらいたい」と言いますが、参加させてもらってる映画祭の格式を自ら落としているようにしか見えないんですよね。
沢山の人にちゃんと見てもらうようにするなら、映画祭が一目置かれるようにしたり、周りの興味を惹きつけるようにしたり、魅力的なものにしていくのは大切な事だと思います。
作品がいくら良くても、人前に出てる監督が清潔感のない、モッサリした感じ、それ洗濯してるの?って思うような服で来るのはどうかと思うのです。それは個性でもアーティスト感でもないのです。
別にスーツでなくてもいいと思います。ただ最低限の服装を整えるくらいはした方がいいと思うだけなのですよね。
こんな事を言うと、
「もっと気楽に、誰でも楽しめるような映画祭にしないと、お堅い感じになっちゃうからさぁ♡」
という人が出てくると思うのですが、気楽でカジュアルなの、全然いいと思います。山や海や自然の中でやる野外の映画祭なんかにスーツはおかしいかもしれないですし、もしかしたら作業着で参加するのがピッタリな映画祭もあるかもしれません。
要するに、気楽でカジュアルと、安くて不潔感があってメリハリがないのは一緒ではない。ということで、そこを混同すると、映画祭が文化祭の延長に見られてしまい、映画祭全体の品質を下げる事になる。それが危険だと言うことです。
人は見た目じゃないと言いますが、人は見た目で判断します。
みんなで意識を高くもって映画祭の格式をもっと上げていけたら。短編映画の世界も盛り上げられるのではないかと期待しています。
みんなが汚い服や、雑な服で映画祭に来るから、我々も雑な服装で行こうと、雑な服装の王様であるジャージや、破れたジーパンで行った時の写真です。ダサいでしょ。
文:小原正至
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